早潟(はやがた)は、新潟県新潟市西区の町字。郵便番号は950-2131。

概要

1889年(明治22年)から現在の大字。角田山の北東、西川左岸の低平地に位置する。

もとは1886年(明治19年)から1889年(明治22年)まであった早潟村の区域の一部で、地名の由来は、文政年間に開拓された潟湖の名称による。

隣接する町字

北から東回り順に、以下の町字と隣接する。

  • 道河原
  • 小瀬
  • 藤野木
  • 赤塚

歴史

早潟村は、1886年(明治19年)に碇下新田、田巻新田、清左衛門新田、兵左衛門新田が合併して成立した。

碇下新田(いかりしたしんでん)
1879年(明治12年)から1886年(明治19年)まであった新田名。角田山の北東、西川左岸の低平地に位置する。
かつては早潟という干潟で、小見郷屋村請が改称して成立。1886年(明治19年)に早潟村の一部となる。
小見郷屋村請(おみごうやむらうけ)
江戸時代から1879年(明治12年)まであった村名。角田山の北東、西川左岸の低平地に位置する。地名の由来は小見郷屋村の村請で開発されたことによる。
1820年(文政3年)の内野新川開削により、潟湖早潟の干拓が可能となり、近隣4か村が開発に着手。1825年(文政8年)に完成し、幕府出雲崎代官所の検地を受けた。
田巻新田(たまきしんでん)
江戸時代から1886年(明治19年)まであった新田名。角田山の北東、西川左岸の低平地に位置する。地名は開発者の藤野木村古料庄屋、田巻三郎左衛門にちなむ。
1820年(文政3年)の内野新川開削により、潟湖早潟の干拓が可能となり、近隣4か村が開発に着手。1825年(文政8年)に完成し、幕府出雲崎代官所の検地を受けた。
清左衛門新田(せいざえもんしんでん)
江戸時代から1886年(明治19年)まであった新田名。角田山の北東、西川左岸の低平地に位置する。地名は開発者の小瀬村庄屋、熊谷清左衛門にちなむ。
1820年(文政3年)の内野新川開削により、潟湖早潟の干拓が可能となり、近隣4か村が開発に着手。1825年(文政8年)に完成し、幕府出雲崎代官所の検地を受けた。
兵左衛門新田(へいざえもんしんでん)
江戸時代から1886年(明治19年)まであった新田名。角田山の北東、西川左岸の低平地に位置する。地名は開発者の田島村庄屋、玉木兵左衛門にちなむ。
1820年(文政3年)の内野新川開削により、潟湖早潟の干拓が可能となり、藤木村新料の庄屋、内山左衛門が願人となって開発に着手。のちに兵左衛門に譲渡された。
1825年(文政8年)に完成し、幕府出雲崎代官所の検地を受けた。

年表

  • 1889年(明治22年)4月1日 : 合併により河西村の大字となる。
  • 1901年(明治34年)11月1日 : 合併により中野小屋村の大字となる。
  • 1961年(昭和36年)6月1日 : 合併により新潟市の大字となる。
  • 2007年(平成19年)4月1日 : 新潟市の政令指定都市移行により、西区の大字となる。

世帯数と人口

2018年(平成30年)1月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである。

小・中学校の学区

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。

脚注

注釈

出典

参考文献

  • 角川日本地名大辞典 編纂委員会『角川日本地名大辞典 15 新潟県』(株)角川書店、1989年10月8日。ISBN 4-04-001150-3。 
  • 『新潟歴史双書 8 新潟の地名と歴史』新潟市、2004年3月31日。 

日常 今日も草刈や事務仕事など色々して、干潮に合わせて干潟へ。 ひたすら広大な干潟を歩き回って、ゴカイを探す。 でも、狙ったゴカイは今日も

和白干潟

新潟市升潟の早鸕社(にいがた百景)

いいね! 再び福島潟へ 早通南小学校ブログ

佐潟 新潟の探鳥地