アレグザンダー2世Alexander II, 1189年8月24日 - 1249年7月8日)は、スコットランド王(在位:1214年 - 1249年)。ウィリアム1世と、イングランド王ヘンリー1世の庶子コンスタンスの孫娘エルマンガルド・ド・ボーモン (en) の長男。

生涯

1214年に父ウィリアム1世が77歳で没した後、16歳で王位を嗣いだ。1219年、イングランド王ヘンリー3世の妹ジョーンを王妃に迎え、イングランドと友好関係を復活した。1236年にヨーク条約でイングランドとの国境線を確定した。

アレグザンダーは外交上の懸案を取り除いてから、父が確立した行政機構を活用して内政を充実させていった。1238年に王妃ジョーンと死別すると、フランス貴族の娘マリー・ド・クシー (en) と結婚した。ヘンリー3世はこれをイングランドへの敵対行為と見なし、アレグザンダーへ言いがかりを続けた。1244年に、ようやくニューカッスルで和解した。

同年、ノルウェーからのヘブリディーズ諸島の奪還を目指して、スコットランド西部へ軍を進めた。しかし、その途中ケアララ島で没した。後妻マリーとの間にもうけた一人息子のアレグザンダー3世が7歳で王位を嗣いだ。

家族

1221年6月21日、ヘンリー3世の妹ジョーンと結婚した。2人の間に子はいなかった。

1239年5月15日、フランス貴族アンゲラン3世・ド・クシーの娘マリー・ド・クシーと結婚し、1男をもうけた。

  • アレグザンダー3世(1241年 - 1286年) - スコットランド王(1249年 - 1286年)

マリー・ド・クシーはアレグザンダーの死後、フランス貴族ジャン・ド・ブリエンヌ(1230年頃 - 1296年、エルサレム王ジャン・ド・ブリエンヌの息子)と再婚した。

脚注

参考文献

  • 森護 『スコットランド王室史話』 大修館書店、1988年
  • ナイジェル・トランター 『スコットランド物語』 大修館書店、1997年
  • バーバラ・W・タックマン、徳永守儀 訳 『遠い鏡』 朝日出版社、2013年

ウィレムアレクサンダー国王夫妻のベルギー訪問(2日目) Ordinary Royal Days

オランダ王室:ウィレム=アレクサンダー国王夫妻に南アフリカ公式訪問 世界の王室ニュース/ゴシップ、ファッション

家系図(イングランド王国)

アレクサンドル2世 YouTube

皇帝アレクサンドル2世をめぐる6つの事実 ロシア・ビヨンド