宇佐 晋一(うさ しんいち、1927年2月21日 - )は、日本の精神科医、医学博士。森田療法家である。
略歴
- 1927年 京都府に宇佐玄雄の子に生まれる。
- 1949年 京都大学附属医学専門部を卒業。
- 1953年 京都大学医学部助手に就任。
- 1957年 三聖病院院長に就任。
- 1960年 医学博士
- 2015年 三聖病院閉院。(2014年12月27日付で閉院)
受賞歴
- 1990年 精神保健功労者(京都府知事表彰)
- 1992年 精神科医療功労者(厚生大臣表彰)
- 1995年 森田正馬賞(日本森田療法学会)
著書
- 宇佐玄雄・宇佐晋一『真実に生きる』三省会 1981年
- 宇佐晋一・木下勇作『あるがままの世界 -仏教と森田療法』東方出版 1987年
- 宇佐晋一・木下勇作『とらわれからの解脱 -森田療法による実践的な生き方』柏樹社 1991年
- 宇佐晋一・木下勇作『続 あるがままの世界 -宗教と森田療法の接点』東方出版 1995 年
- 星野猷二・宇佐晋一『器瓦録想』伏見城研究会 2004年
- 宇佐晋一『禅的森田療法』三省会 2004年
- 宇佐晋一・木下優作『あるがままの世界 -完全版-』秀和システム 2020年
- 宇佐玄雄・宇佐晋一『あるがままの生活 -講話集-』秀和システム 2020年
- 宇佐晋一『不安と緊張に悩む人のための 心の講話と全治の道 -森田療法家・宇佐晋一の思い-』秀和システム 2024年
博士論文
- 「森田療法の治療効果のロールシャッハテストによる研究」『日本精神神経学雑誌』63-6、1961年。
論文
- CiNii>宇佐晋一
医学以外の業績
- 1948年、三重県伊賀市石山古墳について京都大学に報告し、調査に参加。
- 雑誌「古代学研究」の創刊に参加(1949年)、のち発行者となる。
- 古墳時代の日本独自の文様といわれる直弧文の源流を研究し原単位図形を抽出し、それがスイジガイの裏面をうつしたことを確認し、弥生時代の巴形銅器、古墳時代の双脚輪状文とともにスイジガイ起源説を発表して認められる。『日本考古学辞典』では「直弧文」についての執筆を担当し、大阪府紫金山古墳出土の貝輪彫刻の文様構成の分析から、もっとも遡りうる原単位図形が見出され、その後直弧文は順次転写されたもので、伝播して行く間に組んだ帯のような構成に組立てられ、東北地方や南鮮にまで及ぶ分布を示している。直弧文はもともと畿内に発生して育てられたものだが、北九州では構図の省略にもかかわらず特異な発展を示したと解説している。また『日本考古学辞典』には「銅釧」の弥生時代についての執筆があり、唐津市桜馬場では2種26個の銅釧が、流雲文方格規矩四神鏡・方格規矩八乳渦大山銅鏡などと伴出したが、これらは鏡の年代から1世紀の半ばを遡りえないと考えられ、この頃から日本独特の銅釧が国内で鋳造されるようになったものと考えられていると解説している。
- 京都市北区上賀茂本山に所在する本山遺跡から出土した遺物を調査し、緑釉土器窯跡であったことを論述し、『平安時代史事典』の「本山遺跡」についての執筆を担当し、『延喜木工寮式』所載の栗栖野瓦屋の窯跡群の周辺にあって緑釉土器を製造した関連窯跡として重要と解説している。
- 1961年、新幹線工事予定地域内の国鉄新幹線東山トンネル山科側入口にあった、「みこし塚」といわれていた半月形の小丘の発掘調査を行った。
- 1975年、奈良県桜井市纏向石塚古墳出土の木片の弧文円板復元に成功。そこに刻まれていた文様が最古の直弧文であることを論述した。
- 2018年、日本考古学協会から50年以上の功労により「シニアフェロー」の称号を受ける。
脚注
関連項目
- 森田療法
- 宇佐玄雄
外部リンク
- 三省会
- 三省会YouTubeチャンネル




